
The Astro Boy Essays
Osamu Tezuka, Mighty Atom, and the Manga/Anime Revolution
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(石松久幸先生による和訳サンプル pp. 30-33)
「昭和26年(1951年)、繊細な感受性をもった手塚のような人物、そして「鉄腕アトム」のようなストーリーにとってまさにうってつけのタイミングだっ た。「少年」の編集者、金井武士は手塚の作品を非常に「現代的」とみなし、そしてこの現代性こそがまさに手塚の味方をすることとなった。
終戦直後の数年は 日本社会の革命的な一時期だった。また意欲的な漫画家たち、とくにさまざまな社会風刺を行っているもの、めまぐるしい世の中の変化からなにかインスピレーションを得ようとするものたちにとって、ある種の楽園でもあった。連合国側は日本の軍隊を解体し、かつての指導者たちを戦犯として裁き、その多くが処刑された。
アメリカはダグラス・マッカーサー将軍のもと、日本の土地、産業、社会などの抜本的な改革を押し進めていた。天皇崇拝にとって代わり「民主主義」が時代のスローガンとなった。何年にも及んだ統制、厳しい検閲も過去のものとなり、巷には新しいメデイアと知的自由が堰を切ったように現れていた。天皇制を批判することも可能の時期もあったほどである。ずっと後、1980年代になってから手塚が振り返って驚嘆したように、それは真の「漫画ルネッサンス」の時代であった。当時と比べると、手塚がよく嘆いていたように、現在の漫画家たちは今、さまざまな制約に悩まされている。「ポリテイカル・コレクトネス」という名の、暗黙の了解のような政治的・社会的「タブー」もあれば、巨大なマスメディアに成長してしまっている現代のマンガ産業自体が持っている、ほとんど止めようのない、独自の勢いというものもある。
しかし、終戦直後の短い期間には新らしい、そしてこれまでとは異なった圧迫もあった。旧体制の崩壊によって古いもののほとんど、ことに「封建的」とみなされるものは疑問視され、信用されなくなった。戦時下、日本の官憲はすべての出版物を検閲し、アメリカ的なものを禁止したが、終戦後、こんどはアメリカ側が日本の柔道、空手、剣道などの武道を禁じる番となった。メデイアの世界では、侍モノ、伝統的な仇討ちをテーマとした物語、武道、なんらかのかたちでを昔のやりかたを賛美するようなテーマなどが、漫画でさえも、禁止された。「少年」のライバル誌「漫画少年」の編集長、加藤謙一は、戦前に名実ともに日本一の子供向け雑誌の編集長として軍国主義と封建的な価値を煽ったとの疑いから公職追放されていた。彼が「漫画少年」を創刊できたのは妻の名を借りて登録したからである。手塚の初期の漫画ですら間接的に監視されていた。平成18年(2006年)、そのうちのいくつかが、現在ではかなりの値がつくと思われるのだが、占領軍によって集められた終戦直後の出版物が収められているメリーランド大学のゴードン・W・プラング文庫の中から見つけられた。当時、手塚が描いていた作品は幼い子供向けのナイーブなもの、あるいは舞台を海外に設定したものがほとんどだった。唯一、昭和23年(1948年)の6コマのギャグ作品「タメシ斬(ぎ)り」が、侍が人間相手に刀を試しているせいか検閲官の目にとまったのかもしれない。
このような環境の下ではすでに日本で名の通っていた作者たちは戦前の成功がアダとなって不利な立場で活動することを強いられた。終戦当時、もっとも著名だった子供向け漫画の作者は「のらくろ」で著名な田河水泡である。この漫画は黒いノラ犬が帝国陸軍に参加してやがて大陸で(ブタとして描かれている)中国人と戦うというものだった。やはり戦前人気を博した島田啓三は、未開の生活を営む南太平洋の住民に日本的な風習の優越性を教える少年を主人公としたシリーズものでもっとも知られるようになった。これらの作品は実質的に日本帝国主義の宣伝であった。しかし戦況が日本に不利になってゆくに従い、そのような漫画でさえ軍部の反感を買うようになり、やがて子供向けの作家のほとんどはその抑圧によって筆を折ることとなった。終戦後、これらの作家たちは創作活動を再開することはできるようになったのではあるが、アメリカ側の検閲から逃れるためにまったく新しいジャンルの、これまでとは異なったストーリーの作品を産み出さなければならなかった。終戦直後にSF漫画、 アフリカを舞台にしたターザンまがいもの漫画、あるいは西部劇漫画が特に人気を博したのは決して偶然のことではないのである。
このように、編集者も読者も何か新しいものを求めていたときに手塚は現れたのだった。彼は並外れた才能を持ち、若く、過去に汚染されていなかった。さらに、彼の作品は革新的であり、アメリカ的でもあった。そして未来を舞台とした読んで楽しいストーリーの作品を好んで描いた。少年ロボットを主人公とした書き直し作品、「鉄腕アトム」は昭和27年(1952年)4月、「少年」誌上で連載が始まった。その月は、アメリカの日本占領が公式に終了し、日本のメデイアに対するアメリカの検閲も同時に終わりを告げたのと同じだった。過去のことはことごとく否定されたとしても、「鉄腕アトム」の若い読者たちはすばらしいことが起こるであろう未来の、より良い世界を思い描くことができた。アメリカのスーパー・ヒーローとは異なり、アトムは正義のためだけではなく、平和のためにも戦う日本のスーパー・ヒーローだったのだ。彼はロボットだったが、それだけではなく、親しみやすく、性格もかわいく、小学校の生徒に似ていた。その当時の日本の子供たちにとってアトムは彼らを未来に導いてくれる理想的な仲間だったのである。」
The Astro Boy Essays is currently available in both paper and pixel format. You can ocassionally find it in bookstores, but more often from on-line vendors such as Amazon and Barnes & Nobel. And of course, it is available via the publisher's site, too, at Stone Bridge Press.